印鑑職人の背中

私は印鑑職人・秀碩の不肖の息子です。


父は印鑑彫刻一筋に生きてきた、文字通りの職人です。
私が子どもの頃の父の思い出といえば、
朝から晩まで印鑑を彫る、その後ろ姿だけ。
遊んでもらった記憶は、ほとんどありません。


あれは確か、霞ヶ関ビルができて間もない頃でした。
日本初の超高層ビルということで、人気を集めていました。
あるとき、次の日曜日に連れて行ってくれるということになって、
何日も前から、とても楽しみにしていましたが、
当日になって、急ぎの仕事が入ったからと
取りやめになったことがありました。


悲しくて悔しくて、一日中泣いていたのを覚えています。
そんな時、「ごめんね、今度必ず連れて行ってあげるから」 と
必死に私をなだめる母を尻目に、


父は一言、「悪い」 と言ったきり、


あとはずっと私に背を向けて、仕事に没頭していました。


「はんこ屋になんか、絶対になるものか」 と固く心に誓った私でしたが、
気がつくと、もう53歳、印鑑業界に入って33年目を迎えます。
もっとも、父の技術には及ぶべくもないことは初めから承知の上、
企画・営業・販売の部門で、私なりに店を支えてきたつもりです。


しかし、もはや決してそうは長くない、父の印鑑職人としての仕事と足跡を、
彼が現役でいるうちに、一人でも多くの方にお知りおきいただくことは、
商売抜きで父への恩返しでもあり、
また、私自身にとっての、ここまでの総決算でもあると考え、
素人なりに、なんとかこのWebサイトを製作しました。


「 いまどき珍しい、愚直なまでに頑固な職人がいるものだ 」 と、
たとえ一時でも、お心の片隅に留まれば、それでもう、十分に幸せです。


お忙しいなか、当サイトにお越しいただき、
また、拙いページの数々にお付き合いくださいましたこと、
厚く御礼申し上げますとともに、
あなた様、およびご家族、ご友人皆々様方の、
今後ますますのご健康、ご多幸、ご発展、ご安泰を、
父・秀碩ともども、心よりお祈り申し上げます。


ありがとうございます。


Webサイト製作・管理責任者松崎 文一



霞ヶ関ビルに連れて行ってもらう約束は、
その後ついに、果たされることはありませんでした。
そういえば東京タワーにも行かずじまい・・・


その後いつだったか、母がふと漏らしたことがありました。


「お父さんね、ああ見えて高い所ダメなのよ」


…大ヒットしたあの映画と同じオチで恐縮ですが、
こちらは実話です。


父・秀碩と当時3歳の息子

筆者3歳のとき、父・秀碩と


【追記】

父・秀碩は平成25年3月8日午前5時45分、
誰に看取られることもなく、たった一人で静かにこの世を去りました。
享年81歳でした。


あれは確か亡くなる2週間ほど前、2月中旬のある日の夕方。


病室に見舞いに訪れると、父はベッドに横たわったまま、
私が来たのにも気づかず、天井の一点を指差し、じっと見つめていました。


何をしているのかと、声をかけようとしたその時、


父の右手人差し指が、天井を指差したまま、
ゆっくりと、しかし滑らかに、動き出しました。


ふと天井を見上げると、
そこには一辺が50cmほどの正方形のマス目が広がっています。
父はマス目を印面に見立て、そこに文字を書いているようです。
もしかするとそれは、入院直前まで書いていた印稿の続きかもしれません。


そんな父の姿を、しばし呆然と見つめていましたが、
父は文字を書くのに夢中で、私に気づく様子は一向にありません。


「最後の作品」製作の邪魔をしてはいけないと思い、
声をかけるこもとなく、私はそっと病室を抜け出しました。


そう言えば、いつか父が語っていたのを思い出します。


「死ぬのは少しも怖くないが、仕事ができなくなるのが恐ろしい」


印鑑彫刻一筋に生き、病床にあっても現役を貫いた…


…いや、というよりも、


「ただただ、はんこを彫ることが好きでたまらない、ひとりの職人」として、
その道をまっとうできたのだから、幸せな人生と言えるでしょう。


カッコ良かったよ親父、ありがとう。




秀碩、80歳のストライク!
(平成24年4月7日 品川プリンスホテル ボウリングセンターにて)